【雑記】他人を追い詰めること、完全勝利には何も意味はない

雑記
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今回は久々に、旅行のことからも受験のことからも離れて、最近思っていることを。

こういうこと、あまり文字にしちゃうことはないんですが、ブログという世界ではこれができてしまう。一応いまのところ、僕はリアルに対面での関係にある人にはあまりブログの存在は言っていないので、ここに書くエピソードと実際の出来事が繋がりにくいのがメリット。

最近思うこと。最近注意していること。それは、トラブルが起こって揉めたとき、

完全勝利を求めるな、相手を追い込んで打ちのめすな

これは完全に相手に非があったとしても。

実際に最近そういう出来事があったんですよね、身の回りで。

とあるバイトのシフト決めでの話。ここではシフト調整を任されている人をAさん、とある僕に近い人をBさんとしましょう。

とあるときのシフト調整、僕とBさんがいろいろやってしまいました。その事自体は僕たち側に非があったので僕たちは謝りました。

しかし、Aさんはいろいろ気に食わなかったんですよね、追い詰め始めてしまいます。

僕とBさんは完全に負けました。僕たちは、自分たちに非があったと認識しているので、負けたとか、負けたことがどうこうとかあまり考えていませんでした。

しかし、Aさんは自分が勝ったといわんばかりの行動に出ます。そう口にはしないものの、態度がそうでした。

もちろん、この話はそこそこ早く職場中を回ります。僕は悪いことをしたと思っていたので、自分が悪かったことを隠すことはしませんでした。

さて、数カ月後です。

次のシフトを作成しなくてはいけなかったんっですが、そのときにいろいろと問題が起こります。

数ヶ月前の話が回っていて、それを聞いたみんながシフト希望を✗ばかりで出したんですよね。特に、さきほどの問題の引き金となった土日。

結局1人たりともシフト希望◯がいない部門もあり、「誰か入れませんか」と募っても返答なし。

数ヶ月前に起こった問題で僕たちを打ちのめしたために、周りがついてこなくなってしまったんですよね。怖がっているという感じもありますが、やっぱり周りの様子を見ていると「周りの人間が付いてこなくなってしまった」って感じなのです。

最近、この一連の出来事を客観的にみてこうやって思いました。

今回の一連の出来事からの教訓は

「完全に勝ったと思っても、それはその一時だけの快感であり、周りは付いてこない」

ということ。

逆に「自分も悪かった」と言ったり、あるいは問題が起こったときにい寛容な態度でいればこんなことは起こらなかったでしょう。おそらく、僕たちが悪いことをした、という話が回っただけ。あの人は他人のミスもちゃんと受け入れてくれるんだ、っていういい話が回って、それこそどうしようもないときに他人が妥協案を示してくれたでしょう。先程の例で言えば「シフトに入れない週もあります。が、概ね入れるのでそこだけでよければ」など。

ふと思ったので、新大阪から博多に向かう新幹線の中で書いてみました。お・し・ま・い!

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